女の子は、恋をするとキレイになる。
漫画の世界の話だけじゃなく、それは事実だ。
心がときめくと、脳みその中でエストロゲンだかホシノゲンだか知らないが、とにかくホルモンが分泌され、どうやらそれがツヤツヤのお肌や、うるうるのおめ目を作るらしい。
まったく人間の身体は、よくできている。
わたしの脳みそにも、ハダシノゲンだかなんだかのホルモンがドバドバ注ぎ込まれ、許容量を遥かに越えていた時代があった。
つまり、わたしの人生において、いちばん深い恋に落ち、いちばん美しかった時である。齢にして12歳、中学一年生だ。
恋の相手は誰か。
奈良シカマルである。
言わずと知れた忍者漫画「NARUTO-ナルト-」に登場する、13歳の男だ。長い黒髪を後ろでひとつに束ねており、シュッとした体型。いつも気だるげでのんびりしているが、IQ200という驚異の頭脳を持ち、戦況を把握する洞察力や、判断力に長ける。
そして、とどめに、口癖は「めんどくせえ」。
いわゆる中二病に片足を突っ込みかけているボーッとした女が、オチないわけがない。わたしのような女は、いつもダルそうで、飄々としていて、でも強烈なギャップを持つ天才をだいたい好きになるのだ。だが現実に、そんなやつはいない。
ともかく中学一年生だったわたしは、友人から借りた「NARUTO」を読んで、はじめてシカマルに出会い、震撼した。ちなみにその友人は、同作品に登場するカカシ先生の熱狂的なファンだった。
今のように「推し」という概念が広まっておらず、この強烈なときめきを処理できなかったわたしの脳は、どういうわけかホルモンをドバドバと分泌した。
つまりわたしは、シカマルに恋をした。
それからはもう、夢中だった。
同級生が色めきたちながら野球部の男子の試合を応援しに行っているとき、わたしはシカマルが中忍選抜試験を通過するかどうかだけを手に汗握っていた。
クラス一丸となって楽しむはずの球技大会が始まったとき、わたしはわざと両手を頭の後ろで組んで「ウチらより弱ェやつなんかいねえ」と彼の台詞をひっそり真似していた。
今から考えれば、手のつけられないアホなのだが、当時は幸せだった。幸せで仕方なかった。
この時はまだ、恋は憧れに近い感情にすぎなかった。その様相が急転直下したのは、中忍試験本戦が始まってからである。
中忍になれるかどうかを決める試合の対戦相手は、砂の国の女忍者・テマリ。
シカマルと同じくらい賢い彼女と頭脳戦を繰り広げ、捕まえたり捕まったりを繰り返した結果、僅差でシカマルは敗北を喫する。
しかし、シカマルが敗北したことより、大問題が起きた。
なんつーか、わたしの心から、ザラッと嫌な音がしたっつーか。
恋する女の勘が、すさまじく働いてしまったのだ。
「この女(テマリ)、なんか、シカマルといい感じになるんじゃね?」と。
これは、シカマルがチームを組んでいる女忍者・山中いのには抱かなかった感情である。いのは別の男が好きだし、シカマルとはバカできるいい友人のように見えた。
しかしテマリは違う。なんか、違う。
手の内の見せ方とか、ちょっとした時に見せる表情とか、なんか、これ、放っておいたらこいつら、いい雰囲気になっちゃうんじゃないの。わたしはそう思った。戦慄した。
憧れが確かな恋慕に変わった瞬間だ。
「わたし、シカマルの彼女になる。勉強して、強くなる」
友人の前で、そう誓った。
なにからなにまでなんでやねんという感じだが、本気だった。
友人もなんか感動しており「協力する」と言ってくれたので、あの時のわたしたちに必要なのは力でも知恵でもなく、NARUTOに狂ってない人間による冷静な制止だった。
それからは、恋する乙女の暴走列車のごとき日々だ。
シカマルのチームは花札になぞらえたコンビネーション技を披露するので、わたしも彼の戦略についていけるよう、将棋より囲碁より何より先に花札のルールを覚えた。社会科の年配の先生に、いたく褒められたのを覚えている。
さらにシカマルはゲーム「NARUTO 激闘忍者大戦」で、影真似の術を使用するときに華麗な背面ブリッジをキメていたので、わたしも褒められたくてブリッジの練習をした。側転すらできなかったわたしが、いきなり背面ブリッジをキメられるようになったので、体育の授業が楽しくなった。
シカマルは「ゆっくりと時が過ぎるのを楽しむことを知ってるジジイみたいな楽しみ方をするやつ」なので、わたしも彼にならって、のんびりと散歩や昼寝を嗜むようにした。
以上のような、シカマルにふさわしい女となるべく技を真似するだけでは飽き足らず、わたしの行動基準はすべて「シカマルが好きそうか、そうではないか」となった。
もちろん漫画の中で、シカマルが好みの女のタイプについて詳しく話しているわけもないので、それらはすべて我々の連想ゲームに近いゆるふわ判断に委ねられる。
「この洋服、どう思う?」
「うーん、シカマルはもっと目立たない服を着てひっそり隣を歩いてほしそう。女運が悪いから、変な女に目をつけられても困るし」
「石鹸系の香水と、バニラ系の香水だったら、どっちが良い?」
「シカマルは乙女座だからね。乙女座の男は清潔感のある女が好きらしいから、石鹸系にしよう」
マジで、シカマルという存在がもはや概念と化していた。
わたしと友人の頭の中だけで、原作のどこにも明記されていないシカマルの趣味嗜好が、レゴブロックのようにガチャガチャと乱雑に積み重なっていく。恐ろしすぎる。
しかしわたしが努力すればするほど、漫画のなかのシカマルは、テマリとなんかいい感じになっていく。つらい。現実世界のわたしの声は、彼には届かない。厚いガラスの壁を隔てて、向こう側へ一生懸命叫んでいるような虚しさが募る。
ただ、シカマルに振り向いてもらえない代わりに、なぜかわたしがモテ始めるようになった。
どちらかと言うと暗くて後ろ向きだったわたしが、シカマルに好かれるためのアレコレを磨けば磨くほど、なんだか自信が持てて明るくなったのだ。確かに、背面ブリッジができた時は、ちょっと得意げな気分になった。
シカマルへの恋の副産物みたいな自分磨きのせいか、なんとわたしは、生まれてはじめて同級生の男子に告白された。シカマルに後ろめたい気持ちはあったけど、それなりに嬉しかった。
でも、二人の男を同時に愛すというのは。神様が許さない。
デートで彼とユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行ったとき。
わたしはパークのすぐ近くに「ジャンプショップ」があることを知っていた。そこでしか買えない、シカマルの限定グッズがある。いてもたってもいられなかった。
実はNARUTOのシカマルが好きなのだと、彼には言えなかった。今ほど女の子が当たり前にジャンプを読んでいる時代ではなかったし、彼は漫画をほとんど読まないし、わたしは彼の前でキラキラのブリッ子を貫いていたから、幻滅されるのが怖かった。
パークのすぐ近くにあるローソンに彼と入店して「あっ、ごめん!ちょっと親に電話してくるね」と嘘を言って彼をローソンに残したあと、わたしは一目散に向かいのジャンプショップへと駆け足で滑り込み、シカマルのアクリルキーホルダーとステッカーとクリアファイルを抱え込んだ。
瞬速のノールックで。
クロロ団長の恐ろしく速い手刀のように。
そして、何事もなかったかのように、彼と合流したのだった。まさか彼も、ピンク色の乙女なポーチの中に、みっちりとシカマルが詰まっていたとは思わないはずだ。
いろいろあって数年後、わたしは、別の男の子と付き合っていた。あんなにモッサリしていたわたしに彼氏ができるのだから、シカマルへの恋心ったらすごい。
その頃、漫画NARUTOではなぜかシカマルの出番が極端に減っており、わたしは深刻なシカマル・ロスに陥っていた。じわじわ時間をかけて、世界の大地が割れ、海が干上がっていくような感覚だった。
そんな時、友人の勧めにより、わたしはついにコスプレ衣装に手を出してしまった。晴れて中忍となったシカマルの忍者装束だ。通販で買った。1万5000円もした。
わたしが着るのではない。
シカマルではない彼に着せるのでもない。
ただ、ハンガーにかけて、部屋に飾っておくだけ。
これがたまらなく、良かった。
シカマルの服が一式、わたしの部屋にあることで、わたしは完全に「シカマルの帰りをいじらしく部屋で待つ女」になりきっていた。誰かあの時のわたしをぶん殴ってくれ。
因果は応報する。
ある日、わたしの部屋に彼が遊びに来ることになった。納戸のような間取りのわたしの部屋に、クローゼットはない。タンスもいっぱいいっぱいで、私財を投じて買い集めたシカマルグッズ(+やばい衣装)を匿うところがなかった。
これはアカンと思い、わたしは母に「いま読まない本を一旦片づけたいから」とかなんとか言って協力を要請しところ、「ここに入れなさい」と大きな箱を譲り受けた。
それは、シカマルのすべてがすっぽり入ってしまいそうな、大きな衣装ケースだった。ステキだ。
全力で透明なことを、のぞいては。
「透明、かあ……」
ものすごい不安に襲われた。
さすがに家族にも、シカマルの衣装は見せていない。見せたくない。
本や服やダンボールの切れ端などをうまいことねじ込み、外から目隠しはできたものの、衣装ケースが想定していた三倍くらいの重さになってしまった。移動させるために普通に持ち上げようとしても、持てない。
わたしは腰をかがめ、身体をねじり、てこの原理で衣装ケースを持ち上げた。背負うポーズに近かったのだが、ふと正面の鏡を見ると、まるで十字架を背負ってゴルゴダの丘を登る、キリストのような女がそこにいた。衣装ケースの中身は普通に親にバレた。原罪。
奇行らしい奇行はそこでピークを迎え、高校を卒業し、大学生になってサークル活動など新しい楽しみを見出したわたしは、いつからかシカマルの女から遠のいていった。NARUTOのストーリーを見守るために、漫画を読み続けた。シカマルへの激しい恋が、温かい愛に変わった瞬間だった。
2014年11月。
NARUTOは大団円の最終回を迎え、シカマルはテマリと結婚した。
涙は出なかった。
「やっぱり二人、お似合いだったんじゃん」と、苦く笑ってため息をつけるくらいには、わたしは大人になっていた。
大人のわたしは、ただ、二人の幸福を祈った。
今では、女の子のジャンプ読者もすっかり多くなり、恥ずかしさなんかどこか彼方へ飛んでいき、発売日にはSNSもジャンプの話題で持ちきりになっている。シカマルの匂いがする(ような気がする)忍者装束も、2020年では堂々と見せられるものになっただろうか。まだわからないけど。
ひとつだけ確かなことは、シカマルへの恋は実らなかったけど、わたしの中には未だ、その恋心の名残がある。正月に家族で集まれば花札に興じるし、ゆっくり流れる時間を楽しめる奥ゆかしさがあるし、時としてそれらは今も、わたしをいい女にしてくれてる。
きっとこれから先、どうにも白黒決められないような別れ道の前で迷ったら、あのときのわたしの声が背中を押してくれるような気がするのだ。
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