『The Last of Us Part II』と『トイ・ストーリー4』は似ているのであるーーーーっ!!
PS3で前作を体験し、世界中の多くの人々と同様、わしもまた自分でも驚くほどに感動した。何しろわしは、かなり昔から熱狂的な「ゾンビスト」。数あるゾンビ作品の中でも、前作はトップクラスのクオリティだと思うのである(…ゾンビに関してはまたいつか、書く!!)。
ここまで心を揺さぶるエンディングは、映画ですら滅多にお目にかかれない。まさに完璧だと思ったのだ。
だからその数年後、続編の制作が発表された時には、かなり…がっかりしたものだ。
あの完璧なラストの後に、何を続けるつもりなのだろう。世紀の駄作ならぬ蛇足になってしまうのではないか、と。
そして今年、遂に発売された『ラスアス2 』をプレイし、クリアしたわしは、その考えが浅薄だったことを思い知らされた。(無論、難易度はVery Easyであるーーーーっ!!)
たしかに、「完璧な円」の様な前作のラストに、続きは必要なかったのかもしれない。しかし意味は確かにあったのだ。しかもゲームを終えた今となっては、これ以上ないほど誠実な続編だったと断言できる。
そしてわしはこの感覚を、昨年7月に映画館ですでに体験していたことを思い出した。
1995年、ピクサー作品の記念すべき第一弾として公開された『トイ・ストーリー』は、1999年の『トイ・ストーリー2』、そして2010年の『トイ・ストーリー3』をもって、完璧なエンディングを迎えた……と、誰もが思った。
しかし2019年、まさかの続編が公開されたのである。
その名はもちろん『トイ・ストーリー4』。
公開当時、このまさかの『4』が賛否の嵐となった事を覚えているだろうか。
少なくともわしの周囲では、あの物語に憤る者達で溢れていた。
かく言うわしもまた、初見時には複雑な感情を覚え、否定しかけたものだ。
しかし2度、3度と鑑賞を繰り返すことで、なぜこの4作目が作られたのかが分かってきた。
文字数に制限があるため、ここで細部を語るのはやめておくが、ひと言で結論づけるとそれは、「作り手には誠実さゆえに、正しく続編を作る責任感と覚悟ががあったから」であるーーーーっ!!
続編の企画は何度も立ち上がったことだろう。しかし少なくとも作り手は、安易で迎合した続編を良しとはしなかった。
「完璧な円」を歪ませたとしても、意義を持たせる覚悟をもって描いたのだ。
『ラスアス2 』も同じだと思う。
「完璧な円」であった前作のラストを、あえて歪ませたとしても意義ある誠実な続編だったのだ。
冒頭に「ここまで心を揺さぶるエンディングは、映画ですら滅多にお目にかかれない。」と前作を評したが、『ラスアス』シリーズは映画ではない。かつては「映画の様な」とゲームを表現する事が多かった。奇しくも『ラスアス』と同じゲームメーカー「ノーティドッグ」の代表作『アンチャーテッド』のキャッチコピーは「PLAYする映画」だった。しかし『ラスアス2 』は映画ではなく、あくまでもゲームである。
もはやゲームを映画と比較する時代は終わった。映画とゲームは、表現方法が異なるエンタメ作品だ。
『ラスアス2 』は、絶対にゲームでしかできない方法を用いて、想像を超える続編を体験させてくれた。ただただ感謝したい。
だからこそ、本作を巡る賛否、特に否定側の行動や言動には心が痛む。
プレイ後の感想は人それぞれで構わない。だが「自分の望む物語」をサーブされなかったからと怒り狂い、暴挙に出るのは、『ラスアス』ではなく『ミザリー』のアニー・ウィルクスであるーーーーっ!!
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