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鬼滅に散りばめられた"仏"のエッセンスについて(第1回)

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2020/12/05 18:00

稲田ズイキ

稲田ズイキ

これは僧侶が『鬼滅の刃』を読み解く連載の第1回目である。(以下、ネタバレを含む)

今も忘れられない。

まさかまさかと思いながら『鬼滅の刃』を読み進め、16巻でお館様の「永遠というのは人の想いだ」というセリフを読んだとき、

「ブッダやん」

声が出た。深夜の漫画喫茶で。

そのあと、独り言専用のTwitterの鍵垢で「おいおい鬼滅の刃、めっちゃ仏やん」と、雪崩れるようにツイートし続けた。そのときの感動をいまだに覚えている。

目頭が冷めない間に最新刊まで購入し、隅々まで目を通してみたら、あのシーンもこのシーンも、仏のエッセンスの現れとして目に映るのだ。

『鬼滅の刃』2巻より

たとえば、悲しみと強さが同居している炭治郎のこの言葉は、仏教のベスト4の奥義のような言葉「一切皆苦(人生はどうしようもなく苦しい)」を感じざるを得ない。

『鬼滅の刃』6巻より

さらには、パワハラ上司っぷりを披露する無惨様の姿は、「貪(欲望)・瞋(怒り)・痴(無知)」という仏教三大煩悩の塊にしか見えなくなった。

いや、それは妄想のしすぎなのかもしれない。そう言われても仕方がない。これはあくまで一人の僧侶の目線から見た鬼滅でしかないのだ。

しかし、以前から「鬼滅の刃って仏教的なモチーフが多いな」とは思っていた。

玄弥が戦いの最中に『阿弥陀経』というお経を読んでいたり、悲鳴嶼さんが「南無阿弥陀仏」と唱えていたり、他にも、わかりやすいモチーフはたくさんある。

  • 炭治郎がしきりに「成仏してください」と言うこと
  • 青い彼岸花(「彼岸」とは悟りの境地のこと)
  • 全集中の呼吸が坐禅や瞑想っぽい
  • "透き通る世界"が「無我の境地」と猗窩座から評されたこと(「無我」とは仏教でいう悟りの境地)
  • 鬼殺隊の核となった、始まりの呼吸の剣士の名前が「縁壱」であること(仏教では根本的な教えとして「縁起」がある)

でも、僕が確信したのは、モチーフだけではなく『鬼滅の刃』という物語自体が、仏教の主題、すなわち欲望と悟りの物語を射程に入れているのではないかということだ。もはや手塚治虫の『ブッダ』と並ぶブッダなんじゃないかってくらい悟っているのだ。

『鬼滅の刃』が鬼と人(鬼殺隊)の物語なのだとしたら、両者が象徴するのは、永遠と無常、そして、利己と利他。

また、そんな象徴となっている鬼と人は決してかけ離れた存在ではない。同じ直線上に存在していて、人の中にも「鬼」が、鬼の中にも「人」が存在している(また後日詳細に説明します)。

そんな構造を見てしまったら、もう僧侶の口からは「仏教だ」としか言えない。なので、正確には『鬼滅の刃』を語ろうとして、一番近い言葉を探したとき、自分には仏教しかなかったのだ。

だから、「実は『鬼滅の刃』は仏教を伝えている漫画なんだ」と言いたいわけではない。「トトロは死神だった!?」みたいな、人の感動を阻害するような都市伝説紛いの考察が、僕は一番嫌いだ。

「鬼滅が好き、ヤバい」って気持ちを因数分解していったら、たまたま自分の持っている言語とリンクした。ただの愛の言語化なのだ。

ヲタクが早口で作品を語るように、僧侶はありったけの仏教で感動を語る生き物だと思ってほしい。

僕らは遺伝子レベルで『鬼滅の刃』に感動している

今回ありがたいことに、ジャンプのWeb媒体で鬼滅について語る連載をさせていただくことになった。

しかし、一貫してやりたいのは、「なんで『鬼滅の刃』はこんなに感動するねん?」という問いと、それに対して自分なりに極限まで作品の核へと近づくためのほふく前進でしかない。

そして、その一つとして、この連載では「日本という土地に遺伝子レベルで落とし込まれていた仏教的感性を、『鬼滅の刃』が今呼び覚ましているのではないか」という大胆な仮説を提唱したい。

日本では古くより伝承されて来た物語一般を「説話」と呼ぶが、それには仏教説話といって、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』など、仏教を題材にした数多くの傑作が存在する。

言わば、『鬼滅の刃』とはその系譜にあるもの、現代の仏教説話なのではないだろうか。遥か昔から慣れ親しみ心を震わせていた、欲望と悟りの物語が、いま現代によみがえったと言えば、なんとなくこのブームの起源も見えてくる気がする。

いまだにハリウッド映画の物語は、神話と同じ構造が採用されているらしい。神話は普遍的な物語の集大成なのだ。だとしたら、この『鬼滅の刃』は、仏教説話を由来とする日本的物語の集大成と言えるのかもしれない。

いわば、僕らは遺伝子レベルで『鬼滅の刃』に感動しているのではないだろうか。

鬼滅で描かれているのは、一貫して人間の業や徳。「人にとって何が一番大切なのか?」という揺るぎない信念だ。物語を貫いているその信念こそ、僕の目から見ると「仏教」以外の何物でもないのだ。もはや、お経よりも紅蓮華を唱えたいくらいに……

と、前置きが長くなりすぎたので、次回からは、物語の構造の根幹になっている鬼と鬼殺隊の関係について詳しく説明したいと思う。

煩悩と悟りの間を揺れる鬼と鬼殺隊の分析、お楽しみに。

鬼滅の刃
考察
コラム

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